メタボリズムの未来都市展
森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」に行ってきました。
メタボといっても、太ったおじさんとは関係ありません。
日本語に言い換えると、「新陳代謝の未来都市展」という意味になるのですが、
パッと聞いただけでは何を意味しているのかわかりませんよね?
僕もそれを探るために足を運んでみました。
http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html
僕は建築については全くの門外漢なので、今日この展示会を見て初めて知りましたが、
戦後日本の建築界では、
本来は物理的に静的な建築物や都市を生命に例えて
新陳代謝を根底に据えて設計するムーブメントが主流になっていたそうです。
丹下健三をはじめ、磯崎新、川添登、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦らが提唱したコンセプトで、
その始まりと発展の軌跡が時系列に展示してありました。
折しも、1950年代は戦後の高度経済成長期の始まりで、
戦争で破壊された古い町並みをいかにして近代的に再生しつつ、
日本本来のよさを残していくかということが課題でした。
メタボリズムというコンセプトは、
そこにまさにマッチしたものだったといえます。
丸っと別のものに生まれ変わるわけではなく、
もともとの本質を残しつつ、
状況に合わせた形に変容していくことが求められていたわけです。
その走りとなった建築が晴海高層アパート。
近頃流行りの高層マンションではなく、高層「アパート」なので、
10階建てがいいところの集合住宅なわけですが、
急速に成長する経済と生活様式に合わせるため、
2×3の6部屋を1つのフレームモジュールの中に組み込み、
状況に合わせて改修できるようにしてありました。
他にも、大きなワンルームの間取りを
核家族のライフステージに合わせて有機的に組み替えられるスカイハウスなど、
建物という単位で新陳代謝を織り込んだ建築が登場した時代です。
1960年代にはこのコンセプトを建物の集合体に適用した
群造形へと受け継がれていきます。
海の上に聳え立つ円柱のコアを中心に
取り換え可能なムーバブル・ハウスというユニットがとりまく形の
海洋都市という突拍子もない設計が生まれたりしています。
これまで建築家が取り組んでいた部屋という空間が1つのユニットとなり、
共通基盤として必要な機能がまとめられたコアを中心に
必要に応じて組み替えられるというコンセプトに昇華されました。
このコンセプトはやがて
メガストラクチャーと呼ばれる思想にも取り入れられ、
建築物の集合体を一つの設計対象として生命になぞらえるようになります。
ついには東京の都市全体を、
大胆にも東京湾上に線状に伸びる存在として設計するなんていうプロジェクトも。
ここまでくると、
もう、やることなすこと非現実的とも思えるめちゃくちゃぶりですが、
ここでもヒューマンスケールを都市レベルに拡大解釈して、
一つの生命体として新陳代謝させるというコンセプトが生きています。
その後も、このコンセプトが都市から環境へと拡大解釈されていき、
スケールがどんどんと大きくなっていくわけですが、
僕には一つだけ腑に落ちない点がありました。
新陳代謝ときいて一番最初に思い浮かべたのが、古い組織の破壊と死です。
不要な組織がはがれおちてはじめて新しいユニットが誕生する余地が生まれると思ってました。
戦後の高度経済成長期の時代は、
戦争や災害という建物の死が外的要素として存在していました。
でも、そうした破壊の外的要素がなくなった状況では
新陳代謝をコンセプトに据えた建築や都市も拡大を繰り返す他なく、
いつか行き詰ってしまう運命にあるように思えました。
現実を見ても、メタボリズムのコンセプトで建てられた実際の建築物も
結局古いユニットを組み替えたり
新しいユニットに置き換えるような具体例が見当たりませんでした。
死を内包し、死滅した組織が積み重なっていったり、
これから生まれる新しいユニットの礎となるような建築が生まれたら
すごく面白いのになぁ。
いずれにしても、
この展示会を通して、建築がロジカルなファンタジーとして思想を膨らませて
そのほんの一部が現実世界の建築や都市設計の大きな躍進に貢献しているんだと
感じることができました。
建造物や都市を生命になぞらえるなんて、絶対頭おかしい。(褒め言葉)
個人的に面白かったのが、
こんな壮大な建築界のムーブメントが
意外といい加減な発端から始まっていたということw
川添登さんのインタビューでその流れが語られているので、
足を運ばれる方はぜひ探して観てください。